いっこうに収まる気配の見えない脱原発デモ。
政府も無視できなくなったのか、
野田首相が代表者と面会することになったそうで。
思うに、徐々に原発依存度を下げていき、
ゆくゆく原発をなくせばいいという徐々派は
思慮が浅い。
それは、一見大人な意見と思えますが、ズルズルと原発を維持していくうちに
結局はやめたくない原発維持派に取り込まれる公算が大きい。
これは
たばこをやめられない人と同じ思考です
たばこも原発も、スパッと断たない限り、やめられない。
なぜなら原発再稼動に期待が残っている以上、
電力会社は決して代替エネルギーの開発努力を積極的にはしないからです。
このどっちつかずの状況を打開するために
支持率の低迷する野田首相だって米百俵の精神を論じた小泉元首相ばりに
「脱原発の大義のために電力不足の不便を耐えよう」と唱えれば
困難な選択になろうとも、国民は歯を食いしばって耐えてみせるはずです。
最悪、本当に真夏の1週間ほど計画停電になったっていい。
それより大事なのは今年より来年、来年より再来年へと
電力の需給が改善していくことです。
1年後「去年は計画停電があったけど、今年は節電要請だけで済んだね」
↓
2年後「去年は節電要請が発令されたけど、今年はそれがなくて済んだね」
↓
3年後「去年は電力需給率が90%越えてたけど、今年は80%に抑えられたね」
この「電力不足が改善していく」というベクトルが非常に重要なのですが
原発をだらだらと稼動させてる限りこういう方向性は見出せないでしょう。
ハードランディングだとは思いますが、原発再稼動への期待を
完全に断ってでしか、本気の次世代エネルギー開発は始まりません。
メディアでは「脱原発派は現実を直視し、冷静に検討すべき」と訴えながら
ようは代替案がない・感情論だ・現実的でないと脱原発派を批判してますが
デモの参加者が必ずしも
代替案を示す必要はないんです。
デモの意義は
世の中の流れ(ベクトル)を変えること
それだけで価値があるのだと思います。
はっきり言って、代替案を示すべきなのは
経済界の方
経団連のお歴々だと思うのですが、米倉会長などは
「節電要請なんて困る」「電力が不安定なら工場を海外に移転するしかない」
などと悲鳴とも恫喝とも受け取れる発言を繰り返すばかり。
この潮流の変化を
ビジネスチャンスと捉えられない経営者なんて
老害でしかないのだから早く引退して若者に席を譲るべきだと思うのですが。
今、経済界にはこの姿勢が求められています。
かつて米国の大統領ジョン・F・ケネディが演説した言葉
(国家があなたに何をしてくれるかを問うのではなく、
国家のためにあなたがたが何をできるかを考えよう)
例えば「今日本の産業界の力を結集すれば高スペックの蓄電池を開発できる。
しかしコストパフォーマンスを良くするには日本の内需だけでは足りないので
政府はこの蓄電池の規格を国際規格としてもらえるよう各国と調整してほしい」
こういう要請なら
さすがは日本の経団連(拍手)となるのだが、
現実はどうでしょう?ただの大企業の既得権益の保護団体でしかない。
だったら経団連なんて解散してしまえ
「在日」だの
「政商」だのとバッシングされている
ソフトバンクの孫正義社長のほうが、よほど日本のためになってるわ。