ナイトゥ的幸福論

ナイトゥ

2013年03月12日 20:13

昨日で東日本大震災から丸2年が経ちました。

テレビ各局で追悼番組が組まれていましたが

見たいと思わなかったのでテレビは消しておきました



先日、ある方から言われた言葉

「福島に引越したとたんに震災にあって、

 家族と離れて暮らすことになってしまって

ナイトゥさんは不幸ですね



事実だけをとらえれば確かにそう思われても仕方がないかも知れませんが

自分では不幸な身の上とはこれっぽっちも思っていなかったので、

そう思われていたとは寝耳に水でびっくりしました




自分としては震災後お店を閉めていた3ヶ月もの期間は、

掛川の師匠の下で武者修行のごとく施術をさせてもらえたので

あの期間に腕を磨くことができたと思いますし、

家族と離れて暮らすことも、嫁の前ではそんな気配はおくびにも出しませんが

仕事に没頭できる環境に身を置けたおかげで

経営を軌道に乗せることができたとも思えます。

なので、自分が不幸だなんて思ってません



そもそも幸せ不幸せの定義ってなんでしょう?

■配偶者や子宝に恵まれない

■持ち家に住みたいのにアパート暮らしから抜け出せない

■ブラックな企業に就職してしまい安い賃金でこき使われている

■身近な人に先立たれた

■会社が倒産し、リストラされた

■配偶者の浮気が発覚して離婚した

などなど、挙げだせば不幸の種は尽きないけれど



人間30歳を過ぎるほど生きてれば

こういった不幸の種の1つや2つ、または

背負わなければならない責任やリスクの3つや4つはあるでしょう。

それを抱えて生きるのが大人ってもんよ


身の回りに起きる不幸だと思える出来事に深く気を落としたり

自分の境遇と誰かの境遇を比べて、焦ったり嫉妬したりしているうちは

決して幸せにはなれないでしょう



僕の尊敬する前職の社長が好きだった言葉「幸せはいつも自分の心が決める」

僕もまったくその通りだと思います。

もう少し僕なりに「幸せになるための要素」を分析すると

大切なのは自分が望んで決めたことと、

現実に起きた事象の自分の捉え方だと思うのです。




■自分が望んで決めること


たとえ他人から見て恵まれていると思える環境に身を置いていたとしても

本人が望んでその場所にいないのなら、その人は不幸だと言えます。


TOKIO "宙船sorafune"



お前のオールを任せるな~♪

この歌のとおり、誰かにオールを任せると…



任せた相手がこんな人だったら殺されるかもわかりません



身の回りに起こる大事な事柄の決定権は自分にあること。

自分の人生を自分でコントロールすること。

=選択肢が複数存在し、自分のタイミングでカードを切れること。



たとえその決断の結果、狙い通りの状況にならなかったとしても

自分の選択を肯定できるのは幸せな人生と言えます。



■現実に起きた事象の自分の捉え方

自分のコントロール外の場所から身の回りに影響を及ぼす事象があります。

そのとき、幸せになるために大切なことは

その事象を追認すること

その事象が自分にとって良い影響を及ぼすものなら“感謝”

その事象が自分にとって悪い影響を及ぼすものなら“許容”


特に許容は、事象によっては難しい場合もありますが、

参考になるのが松下幸之助爺の「それもまた良し」の精神です。

天下人のほととぎすの句にちなんで、幸之助さんならこう詠んだという話です

鳴かぬなら それもまた良し ほととぎす

悪い影響に目を向け過ぎないように、

現実の捉え方を少しずつずらしていくことによって

前向きに受け止めることが大事です。

このように現実を追認できたとき、身の回りの不幸の種が

芽をだすことはないでしょう


そう、不幸の種は誰にでもあるんです。それはなくならない。

だからこそ幸せはいつも心が決めるのだと思います。